Rilo Kiley 『Under The Blacklight』

My Rate : ★★★★1/2


「私は、あなたの銀の裏面だった。でも、今、私は金の表面なの。」


男から離れていく女の心情を硬貨の表裏に例えた「Silver Lining」でこのアルバムは始まる。LAのインディー・ロックバンド、ライロ・カイリーのヴォーカルであり、シンガーソングライターであるジェニー・ルイスは、おそらく彼女のこれまでの作品の中で最高の批評的・商業的評価を獲得するであろうこの作品において、女が成熟することについて歌っている。それも、男に依存しない成熟についてだ。意外なことかもしれないが、これは珍しいケースである。


例えば、女性ロックアーティストの始祖的な存在であるパティ・スミスは、人生の伴侶を見つけたとき、彼女は喜び勇んでウェディングドレスを着込み、『Wave』というアルバムを作った。登場時にいくら尖がっていても、「キャリア中期の名作」と呼ばれる作品においては明らかに傍らに男の影が存在するというケースは実は非常に多い。実際に。私生活で自分の心の支えとなる存在がいたかどうかは別にして、例えば、90年代を代表する女性ロックアーティストであるPJ Harveyの『Stories From The Cities , Stories From The Sea』についても同じことが言える。このアルバムも、一緒に「Bad Fortune」を「Slipping Away」してくれるだれか、「Home」と呼べる誰か、一緒に「Float」出来るだれかについてのアルバムだ。


男である自分には、上手く想像でいない部分があるが、女が大人になるというのは、男のそれとは違った難しさがあるのかもしれない。上記は、それはそれでいい例なのだ。例えば、「成熟」路線が単にインパクト不足にしかならなかったアラニス・モリセット、そんなインパクト不足を打開しようとして無理な若ぶりをして痛かったリズ・フェア。3作目にして早々に大人になることを放棄したアヴリル・ラヴィーン。そもそも人間であることを放棄しているように見えるビョークコートニー・ラヴなんて、男への依存を通り越して、醜い利用を繰り返している。


では、マドンナどうか?彼女もまた違った意味でジェニーの成熟とは異なっている。マドンナの「強い大人の女」像とは、世間よりも早い速いスピードでトレンドを投げ続けるということだ。つまり、高い情報感度を保つことで、「老い」を否定する行為だ。


ジェニー・ルイスは、そのどれとも違う。ここにあるのは、要するに歳月を経て酸いも甘いも知ったれ(といってもまだ31歳なんだけど)ばこそ得られる、自己への揺ぎ無い確信だ。70年〜80年代ポップスからルーツミュージックまで、知ったからこそならせる、このアルバムの輝きは、彼女が「老い」に少しもネガティブな気持ちを持っていないことを物語っている。彼女にとって、「老い」はすなわち「成長」なのだ。そして、「成長」すれば、「成長」できない男からは当然離れていく。


このアルバムのラストを締めくくる「Give A Little Love」でも彼女はこう歌う。「あなたが、少しくらい(他人に)愛を与えられれば、よかったのにね」。タイトルだけを見れば、「愛をください」になりそうなところを、彼女はそう歌っている。甘酸っぱくて切ないメロディーに乗せてだ。この切なさは、悲しみではなく哀れみに近い。「私は一人でやっていけるけど、あなたはこれから大変ね」とでも言うように。これを歌える三十路の女というのは、相当強い。リリー・アレンケイト・ナッシュが如何にダメ男の文句を言ってみたところで、やはり20歳に満たない子らしく、時にはオセンチになったりするものだ。「彼女達が10年後にこれを歌えたら、本物」と思えるような、ある種「お手本」的な作品なのだ、このアルバムは。


もちろん、このアルバムの要所要所で登場する横暴な男に「アメリカンドリームの幻想」をオーバーラップさせて読むこともできる。もちろん、解釈は自由だが、かつてサドルクリークやバースクで活動していたジェニーのことだから、それも裏の意味としてしっかり込められているに違いない。とすれば、比喩としてやや安直にも見えるが、きっとそれは、元ディズニーの子役という、「幼い頃、アメリカンドリームと寝たことがある」彼女だからこそ許される表現方法なのだろう。


このアルバムは、女性ロックのあたらなる金字塔にして、ポストウォー時代のUSインディーロックを代表する名盤だ。